はるはるの“ジュリー初心者”日記

ビギナージュリーファンの“はるはる”が、沢田研二様への愛とジュリー学習の過程を語ります。読書メモ「図書館のなかのジュリー」、ライブ感想、初心者の戯言の3本立てでひっそりと運営中。TwitterID @haruandwanko

栗本薫「真夜中の天使」*悪魔のようなあいつとジョニーとジュリー

図書館のなかのジュリー

ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、沢田研二様に関する(図書館で借りた)書籍を、
著しくジュリーに偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)

 

ジュリー度:★★(5段階)
栗本薫著「真夜中の天使」(上下巻)
文藝春秋,1979年,本体価格980円

 

主人公は美貌のアイドル歌手「今西良」→愛称は“ジョニー”“良ちゃん”

 ジュリーファンになって2カ月半くらいの頃にドラマ「悪魔のようなあいつ」を観ました。観終わった直後の感想はこんな感じ↓

 

 

 まあ、正直キツかったです。それでドラマをもう一度見返す勇気がないまま感想サイトを回っているときに、この「真夜中の天使」の存在を知りました。紹介文が「ドラマにインスパイアされていて、登場人物がまんま良ちゃんと野々村さんでー」みたいな記述だったので、「ほう。ドラマの内容をアレンジしたスピンオフ的なものかな。どれ読んでみるかね」と軽い気持ちで読み始めたんですね。

 本書は、芸能界の美しきスーパースター・今西良(ジョニー)が、その美貌と悪魔のような心で周囲の大人たちを支配していく様を描いた愛憎劇で、主人公は今西良と、良をスターに育てたマネジャー・滝俊介。ジョニーは20代前半のジュリー、滝俊介は「悪魔のようなあいつ」で藤竜也さんが演じた野々村のイメージそのまんまです(常に薄い色のサングラスとスーツで決めた、ヤクザな世界に片足突っ込んだ男)。ドラマと共通するのは、良という名前、良の魔性と妖美なイメージ、良が持つ悪魔のような心、滝の見た目と良への愛情(というか愛憎か)、「悪魔のようなあいつ」の暗い世界観でしょうか。お気楽なスピンオフではなかったのでした(-_-)

 冒頭からしばらくは、良の美しさを讃える記述が続きます。これでもか!と修飾語を並べた美しさへの賛辞。長くなりますが、ちょっと引用します。

 細おもての女顔はぬけるように白く、幼児のようになめらかな顔をしている。挑戦的な弓形を描いて、きれいな顔に一抹の皮肉そうな翳を与えている眉、茶色の冷たい、どこか夢見ているような甘さをかくした目、きわだった二重瞼で、何も塗らなくてもその瞼はいつも青みがかってみえる。
 うっとうしいほど長い睫毛、細い鼻梁、くっきりと上唇がくぼみをつくり、下唇はひどく色っぽくしゃくれてふくらんでいる拗ねたような口もとに至るまで、すべてが繊細な線でつくられたアラバスターの彫刻のようだった。
 それに生命をあたえているのは、そのととのった顔をひらめくように変えてみせる、独特な表情の鮮烈さだ。良のどの表情も、誰に教えられたわけでもない生来の強烈なあざやかさを持っている。とりわけ、眉と瞼と睫毛が自在にこちらの胸を苦しくさせるような色っぽい表情を描き出してみせた。(中略)
 裸の胸はなめらかに薄くて、ほの紅い双つの乳首と三角形を描く位置に細い金鎖でつるした何かの牙のペンダントが下がっていた。(中略)良のからだには、なにか、ごく未発達なのにひどくエロティックなものを感じさせる美少女の裸身のようなものが漂っていた。
(中略)
 鏡の中から、怪しい美しい生き物が見つめ返している。昏い目だ。冷たく、無感動な表情が、黒いしなやかな猫を思わせる。(中略)男でも女でもない、ふしぎな美の化身ともうつる。昏いかがやかしい生物。
(中略)ひとびとの驚嘆と讃美によっていよいよ美しく光をはなち磨かれてゆく、傲慢で可憐ななかば狂った、日常の時間の耐え得ぬようなふてぶてしい白い生き物。その美に目をひかれるものすべてに、ありえぬような禁断の妖美な世界の夢を見させる魔法使い、錬金術師。 

 

ジュリーの美しさを文字でイメージして堪能できる小説

 どうですか、これ! とにかく良ちゃん(ジョニー)は美しいのですが、言い換えればこれはモデルであるジュリーの美しさの描写でもあるわけです。これが最初にドカンと数ページにわたって出てきます(そのあとも讃美は繰り返され、熱量は増してゆきますが)。
 私のように「ジュリー様美しい…」としか言えない想像力が乏しい人間には、文字の助けの効果は絶大でした。文字で読むと、ジュリー(というか今西良、というかやっぱりジュリー)の美しさを細部までイメージし言語化できるようになるわけです。讃美のボキャブラリーも増やすことができて、ジュリ活するうえで大変勉強になりました。
 ちなみにこの美の描写を読んでいるとき、私の頭の中はずーーーーっと「魅せられた夜」がグルグルでした。でも「魅せられた夜」もその時はまだ2回しか聴いてなかったので、「ああぁぁ〜あなたがぁ」「ジュテームジュテームジュテーム…」「堕ちてゆくよ…」の部分のみが頭の中でヘビロテするというハイテンション状態。しかもジュリーの歌唱シーンを見たことないのに、“袖が広くて白いふわりしたオーガンジーっぽいブラウスと白のパンタロンとふわふわヘアで歌ってる”という自分で想像したイメージ映像つきでしたからね。
 と、そんな感じで楽しく読んでいたのに、突然修羅場がやってきます。そうです、“BL”とかいうやつです。
 私はBL方面の知識がまったくないため(正確に言うとドラマの「きのう何食べた?」で初めて触れた程度)、良が呑み込まれていく修羅の世界を読んで「うわ、うわ、うわ、こんな感じなの?うわー」とドン引き…。大腸内視鏡検査(肛門からカメラ入れるアレです)だってあんなに苦痛なのにね…良ちゃんかわいそうすぎる…。

フィクションなのに…ジョニーとジュリーは違う人なのに…

 ま、ひとまずBLは置いておくとして、この小説を面白く感じた理由のひとつは芸能界の描写でした。一般人には想像もつかない芸能界のルールや掟も描かれていて興味深かったです。
 でもこの小説はアイドル・ジュリーをモデルにしている部分もあるため、読んでいるとどうしてもジュリーとジョニーが混同してくるんですよね。「レッスンとはこうするのか、へええ」とか、「楽屋ってこんな感じなのね、なるほど」とか思うわけです。ほかにも売り出し手法や芸能界の序列のことなど、へえ〜と思える内容が多かった。また芸能界の汚さも描かれていて、実弾、メンツ、脅迫、フィクサー…あたりの描写が出てくる賞レースの項を読んだときは、ジュリーが吉田拓郎の番組で「レコ大はパワーゲーム」と語っていたことを思い出したりしました。
 小説はもちろんフィクションです。ジョニーとジュリーは違う人だし、ジュリーの周囲で小説のようなことがあったとは思わない。でも「ひょっとしたらこんなことあるのかな?」と想像してしまう部分はやっぱりあって、ジュリーもポンと簡単にスターになったわけではないんだろうな…と勝手に考えてしまうわけです。それがフィクションを読む楽しみでもあるのですけど。

とにかく長いので覚悟して読むのをおすすめ。スカパー様、「悲しきチェイサー」をお願いします!


 それにしてもこの本、長かった…。昭和の小さな活字で2段組み。上下巻合わせて約600ページ。計算したら約75万字ありました…(文庫版は6巻で収めているようなので、文庫も活字小さいんだろうな…)。私は読了まで2週間弱かかりました(途中で読むのが辛くなって2日ほど放置したし)。良ちゃんが主人公の別の作品(「翼あるもの」「真夜中の鎮魂歌」も読んでみたかったけど、また気が向いたらにしよう(数年先になりそうだ)。
 そうだ。栗本薫とジュリーといえば「七人の刑事」の「悲しきチェイサー」も見たいのですよねー。スカパー様、何とぞ放送をお願いいたします!

 

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