はるはるの“ジュリー初心者”日記

ビギナージュリーファンの“はるはる”が、沢田研二様への愛とジュリー学習の過程を語ります。読書メモ「図書館のなかのジュリー」、ライブ感想、初心者の戯言の3本立てでひっそりと運営中。TwitterID @haruandwanko

島﨑今日子「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」/沢田研二研究者による沢田研二研究書

図書館のなかのジュリー

ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、沢田研二様に関する(図書館で借りた)書籍を、
ジュリーに著しく偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)

 

ジュリー度:★★★★★(5段階)
島﨑今日子著「ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒」
文藝春秋,2023年,本体価格1800円

 

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 ジュリー様本人が「読まんでいい」と仰っているモノを読むことに迷いはありました…が、知りたい欲求が勝ってしまった(買ってないのでお許しください、ジュリー様)。

 読後の率直な感想①は「これだけの膨大な資料をよくまとめたなー。プロのライターさんすげえええ!」、そして感想②は「島﨑さんは第二の肩書きを『沢田研二研究者』にしていいんじゃね?」でした。

 文献を探すのも集めるのも読み込むのも大変だったろうし、それを整理してまとめてエンタメ的読み物にしたのはとにかくすごい。そこは本当に称賛以外の何物もないし素直に尊敬しかありません。

 本書にはすでに多くの書評が存在するので、私の読書感想文はさっくり割愛(正直言うと全381ページに綴られたジュリー様の凄さを書き表す自信がない…)。

 なのでここから先は、読書感想文とは違う視点で初心者が感じたことをメモしていきます(そして退屈な話が続きます)。あくまでも個人の感想ということで、何卒ご了承ください。

 

読みやすし沢田研二研究論文と思ふのである

 研究っぽいという印象は、膨大な文献引用とインタビューから成り立つ構造が文学研究や作家研究みたいだと思ったからです(あくまでも個人の印象です)。

 漱石とか三島とか教科書に載るような作家の研究とは、作品や作家を調べ尽くし考察を深めていくある意味オタク的作業だと思うのですが、本書の印象はこれに近い。大のジュリーファンがジュリー好きを突き詰めた集大成!に思えまして(褒めてます)。

 加えてこの作業、ワイが学生時代にゴリゴリやらされた「質的研究」の手法となんだか似てるなぁと思ったわけです。

質的研究とは、インタビューや記録などの主観的データをもとに研究対象の社会的・文化的な解釈を深める研究のことです。 社会的背景や対象者の心理、性格といった数字で表すことができないデータを集約して、対象者の心理的傾向や文化などへの理解を深めることができます。

株式会社スマートゲートHPより引用


 ワイの学生時代は、研究課題に合った文献を読み漁って筋道を見つけて考察して膨大な文献とインタビューから必要な部分を引用して組み立てて文章にまとめる…という拷問作業を死ぬほどやらされた思い出すのも辛き日々…(遠い目)。

 まあ、そんな学生のしょぼいレポート作成と比較するのは失礼かと思いますが、本書を読んでこの質的研究を思い出さずにはいられませんでした。

 週刊誌連載当初はデータとインタビューを組み合わせたノンフィクション?伝記?と思うこともありましたが、本書にはところどころに島﨑さんの「〜ではないか?」という考察・推論も混ざっていたので余計に研究論文っぽく感じたんですよね。

 

ジュリー史学習の参考書になる?!

 論文と考えれば、引用文献や歴史の記述はすべて事実。であれば「ジュリー史学習の参考書」にできるかもと思いました。

 でも前述のようにところどころ島﨑さんの考察や推論が混ざっているので、「書かれたことすべてが事実ではない」を念頭に置くことが必須なのですが。

 なお、さっきから「ジュリー学習」なんて堅苦しいことを言ってますが、ジュリー様が72歳からの超後追いファンの前に立ちはだかる大河級の歴史を自然に覚えるのはどだい無理な話。なのでファンになった当初から「ジュリー史を勉強する」という意識を常に持っています。

 ちなみに超初心者の頃、こんな↓涙ぐましい努力もしていました(笑)。

 

見方や感じ方は人によって違うから…

 ここから先は初心者のくせにかなり生意気なことを言いますので、ご不快に思われる方がいらっしゃったら申し訳ありません。

 やっぱりなのですが、ご本人の許可なしに大々的に出版してしまったのはなぜなんだろう?という疑問がどうしても拭えず…。

 後書きに「取材申し込みを何度も断られた」とありましたが、だから「それじゃ許可なしで出しちゃえ!」に至るのは振り幅が大きすぎやしないか?と。

 前述した質的研究ではないですが、もしどこかの大学で研究論文として書かれたのだとしたら手放しでスゴイ!と思うけれど、現実はジュリー様本人の許可を得ずジュリー様の名前を使って、誰かが利益を得ている…。

 なので「え?それっていいの?」と思っちゃうんですよね、個人的には。

 ポジティブに考えれば、ジュリー様の偉業を世の中に広く知らしめるという功績はあったかもしれないけれど、私としては「どうなんだろう?」という思いの方がやっぱり大きいのです。

齟齬が生じているなら書かれる側はキツイと思うの…

 約20年前、人気バンドCのメンバー間の確執で“ぼーろ本”が出た時に、ボーカルFが「あの本はT(本を出版したメンバー)から見た真実なんだよ」と言ったと報道されましたが、この事象は「人によって物の見方や感じ方が違う」ことをよく表している思います。

 つまりジュリー様とて、「身近な人が証言するジュリーのあれこれ」と「ご本人が思っているあれこれ」は違う可能性があるわけで。そして我々がSSAで目撃したように、同じ場面を一緒に体験していたとしても50年以上経てば全員違うことを言い出す場合もある(笑)わけです。

 また先述した質的研究は、自分がつけた道筋に合わせてデータの取捨選択をしがち(あくまでもワイの場合ですが)なので、本書も島﨑さんが書きたかったストーリーに過去のジュリー様のインタビューや言動を当て嵌めた部分もあるかもしれない(邪推ですが)。

 以上のことを考えるとジュリー様本人が知る真実とは齟齬が生じている可能性もあるので、書かれる側はそりゃキツイだろなぁ…と思っちゃうんですよね。

 

ジュリー様の言葉が多くの人に齟齬なく届く機会をプリーズ誰かー

 ジュリー様が「間口を小さく」とか「終活」というワードのもとに「今後取材は受けない」と決めたのは何かきっかけがあるんでしょうか?

 ファンのわがままですが、ジュリー様の言葉を多くのファンに届けてもらう機会が欲しいと常々思っています(本書に対してのコメントというわけではなく、現在のジュリー様の気持ちや考えが知りたいのです)。

 ライブでMCは楽しめるけれどそれは会場の数千人に対しての発言だし、いろんな事情で会場に行けない人もいます。先輩たちがツイッターやブログでライブのレポートをしてくださるのはとてもありがたいけれど、それはあくまでも伝聞にすぎない。

 だからジュリー様の言葉が多くの人に、憶測や齟齬が生じず届くよう媒体を使って発信してくださるのが一番安心安全な方法だと思うのです。

 記者の意図が入った記事にされるのが嫌ならば対談形式で受けるとか、テレビやラジオで誰かと対談するとか…媒体社のどなたか企画をお願いします!!(個人的にはジュリー三昧のような長時間モノローグ希望)。

 「取材は受けない」というジュリー様の意思は尊重しますが、これだけは言いたい。

 ご本人の意思に反して世間が放っておかないのはあなたがスーパースターだからと私は思います。

 ジュリー初心者の拙き小さなこの声、どこかでジュリー様に届きますように…。

 

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