はるはるの“ジュリー初心者”日記

ビギナージュリーファンの“はるはる”が、沢田研二様への愛とジュリー学習の過程を語ります。読書メモ「図書館のなかのジュリー」、ライブ感想、初心者の戯言の3本立てでひっそりと運営中。TwitterID @haruandwanko

増山実「ジュリーの世界」/ジュリーだけどジュリーじゃないジュリーの世界とジュリー

図書館のなかのジュリー

ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、沢田研二様に関する(図書館で借りた)書籍を、
ジュリーに著しく偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)

 

ジュリー度:★(0.5)(5段階)
増山実著「ジュリーの世界 」
ポプラ社,2021年,本体価格1700円

 

 

 この本は小説です。そして「ジュリーの世界」のジュリーとは、沢田研二様ご本人のことではありません(ややこしくてすみません)。

 タイトルのジュリーとは、1970年代の京都に生きた有名路上生活者「河原町のジュリー」。その“ジュリー”の人生をフィクション化し、京都の光景や人々の生活と絡めて描いたのが本作です。

 河原町のジュリーをリアルに知る人や、その時代を京都市内で過ごした人々は、きっと当時の街のにおい、京都で暮らした思い出、懐かしい人々なんかが鮮やかに蘇るんだろうなぁと羨ましく思える小説です。

 そしてジュリー初心者にとっては、本物のジュリーの故郷の空気感を想像することができる一冊となりました。

長髪=ジュリーだった時代

 フィクションだし主人公は本物のジュリーじゃないとわかっていたのに、なぜ読もうと思ったかと言うと…「河原町のジュリーが“ジュリー”と呼ばれるようになった理由」が知りたかったからです(初心者なので、とにかく何でも知りたい)。

 Wikiに載ってる理由としては「河原町のジュリーが長髪だったから」とか「単に京都出身の有名人ジュリー の名を冠した」ってことなんですが、きっと他にも理由があるだろうと思ったんですよね。

 でも結論を言うと、この本にそれ以上の理由は書かれていませんでした。そういや、私が中高校生の頃、わが街に有名な女装おじさんがいて「聖子ちゃん」とか「聖子おじさん」って呼ばれていたおぼろげな記憶があります。

 河原町のジュリーも聖子おじさんも、単に時代のアイコンの名を冠せられたってくらいの理由なのかもしれませんね、おそらく。

男子と小学生から見たジュリー

 では、初心者の読みどころはどこかと言うと、作者の目を通して知る1970年代のジュリー(本物の沢田研二様の方です)のイメージでした。

 作者の増山さんは1958年生まれ。本物のジュリーのちょうど10歳年下です。ジュリーがテレビに出まくっていた頃は十代の終わりから二十代の始め頃でしょうか。当時の若者(しかも男性)の目に、本物のジュリーがどう映っていたかを知るのは興味深いことでした。

 小説の中で本物のジュリーは、2人の男性(小学生と十代の警官)が語るスターとして登場します。

 小学生の目から見た本物のジュリーは、レコ大を受賞し紅白のトリを務めた「大スター」。そうですよね、小学生ならこんな感じの評価でしょう。子供にあの色気はわからないし(わかってたまるか)、小学生にとってはアイドルって年齢ではない。

 ちなみにこの頃、私は小学校低学年でしたがジュリーの記憶はなぜか3つしかありません。

 1つめは、「ダーリング」の「♪黄昏に顔を向けてくれ〜」の黄昏の意味がわからないので、壁を黄昏ってことにして友達みんなで一斉に壁に顔を向けて歌ったって記憶。

 2つめは、ろくでなしのカミソリイヤリングが片方だけなのが今で言うLGBTQ的なサインだとどこかで聞きかじり、「沢田研二って〇〇なんだって!」と原っぱで遊びながら友達と話した記憶 (昭和だから許された会話)。

 3つめは、ザ・ベストテンで「膝が出るから座れません」と言って多分ヤマトの紫革パンでずーっとソファの横に立っていたジュリーを見て、「ジャージに着替えればいいのに」って小学生らしいことを思った記憶。

 ま、そんなこんな私の記憶はどうでもいいんですが、当時ピンクレディーに夢中だった小学生の私の目にも、きっとジュリーは「大スター」に見えていたのでしょう。残念ながらまったく覚えてないんだけど(悲しい)。

おばちゃんはJ様の色気しか見えない

 対して十代の警官が語るジュリー像は、「太陽を盗んだ男」の木戸先生でした。若い彼は映画を次のように評します。

「荒唐無稽だが十分に楽しめる」

「これだけ面白いのならもっと評判になってもいい映画じゃないか」

 そしてジュリーの演技を次のように表現します。

沢田研二って、今、日本で一番かっこええ男(中略)そんな彼に、あんな地味でダサい中学教師をやらせて(中略)それでも結局、あの最後に新宿の路上をひとりで歩くジュリーは、カッコええんです」

 作者の増山さん自身が当時「太陽を盗んだ男」を鑑賞したかどうかはわかりません。でも当時の若い男性の目から見ても、ジュリーはとにかくかっこよかったってことを知れてうれしかった。と同時に、あの時代をリアルタイムで体感できなかったことがとにもかくにも残念ともあらためて思ったんですよね。

 なお、アラフィフにして「太陽を盗んだ男」を初めて観た私の感想は、「荒唐無稽だが面白い」には同意。でも木戸先生が地味だともダサいとも1ミリも思わなくて、「こんなイケメンが中学校にいたらやばいでしょ」だの「市井に紛れても、この色気はどうしても隠しきれないものだな」だの妙に感心しながら観ていたので、今回は若い男性とおばちゃんの感性の違いをまざまざと思い知らされる良い機会となりました。ありがとうございます。

I'll be back KYOTO!! I'll go to ROHM Theatre KYOTO!!!!

 そういえばこの小説を読んでいて不思議に思ったのが、本物のジュリーが京都出身ってことがほぼスルーされてたってこと。

 全国的な大スターが、おらが街の出身ってことを当時の京都の人たちはそんなに気にしていなかったのかな? 小説で繊細に描写される通りや町の風景のなかを、河原町のジュリーのみならず本物のジュリーだって歩いていたし、何より本物のジュリーはこの街で育っている。

 なぜそんなことを思うかと言うと、田舎育ちの人間は同郷の有名人が少ないってこともあるけれど、郷土意識が強いから同じ場所で同じ経験をしている人を身近に感じるわけですよ。私の場合、同郷で同い年の大黒摩季が歌う「♪懐かしいにおいがした すみれの花時計〜」を聞くと、市民会館前の花時計のにおいが蘇るんですよね。つまり幼少期から同じ場所で同じ経験をしている大黒摩季を身近に感じる(知り合いではありませんよ)。

 京都の人々にはそれはなかったのかな? さすが京の都は違うな…あれ? これは田舎育ちだからそう思うだけか?とかいろいろ考えてしまいました。

 そしてこの本を読んだ一番の感想は、「あああああーー!! 京都行きたいーーーー!!!」ってことでした。

 私が最後に京都に行った時、ジュリーは何時代かと調べたら「愛まで待てない」の頃! ううう〜ずいぶんご無沙汰しております、京都様。

 前回はプロレス観戦のついで(笑)に寄ったけれど、今度はジュリー のライブで行きたーーーい!!!と、まだ見ぬロームシアターを想うのです。

 

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