はるはるの“ジュリー初心者”日記

ビギナージュリーファンの“はるはる”が、沢田研二様への愛とジュリー学習の過程を語ります。読書メモ「図書館のなかのジュリー」、ライブ感想、初心者の戯言の3本立てでひっそりと運営中。TwitterID @haruandwanko

ジュリーとB'zに思う。音楽と時間の流れと人生と。

 突然ですが、私はB'zが好きです。と言っても熱心に聴いていたのは、今年35周年を迎えた彼らがデビューしてから7-8年くらいまで。そこからは数年おきに出入りを繰り返すライトなファンに成り果て現在に至ります。ただし、B'zが売れる前(正確にはデビュー前)から聴いていたので、古参ファンであると自分では思っております。

 「ジュリー初心者日記」と名のつくこの場で、なぜいきなりB'zの話かと言いますと、今年5年ぶりにB'zのLIVE-GYMへ行き、この記事のタイトルをしみじみ感じたから。うざい独り語りですが、ご興味あればお付き合いください。

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 私はジュリー様が72歳のときにファンになった超後追い。なので自分の人生の大部分にジュリー様が存在しておらず、先輩の皆様のように自分の人生にジュリー様を重ね合わせることができないのをコンプレックスに思うことが多々あります。

 ジュリー祭りの録画で「君をのせて」のイントロでの大きな拍手を聴いたときも、さいスパでタイガースに涙する先輩たちを目の当たりにしたときも、「あなたがパラダイス」で登場人物の気持ちを読んだときも、ジュリー様と一緒に人生を歩んでいない自分をすごく残念に思いました。と言うよりも、曲を聴くだけで当時の自分を思い出したり懐かしんだりすることができる対象があることがうらやましくてたまらなかったのです。

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 今年はB'zが5年ごとに開く周年ツアー「Pleasure」の年。周年は古い曲や人気曲中心にセットリストを組むので、私のような中抜けや昔のファンも存分に楽しめる内容になっています。

 で、今年5年ぶりに行ったわけですが、何が起こったかというと最初から最後まで泣きっぱなしでした。BBAになり涙腺が緩くなったのもあるかと思いますが、懐かしい曲を聴くと自分の人生がフラッシュバックし心がワシワシと揺さぶられまして。

 B'zを聴きまくっていた頃は20代前半だったので、あの頃の楽しい日々、苦い思い出、両親に与えてもらった愛情、不器用ながら夢に向かって懸命に生きていたひたむきさとか、若くて青かった自分の心象風景がわーっと湧き出てきました。

 涙を拭いながら「ああ、私にも人生を共に歩んだ音楽があったのか」と思うと本当に本当に嬉しくて、さらにゴーっと涙が出てくるので大変でしたが。

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 中抜けを繰り返している私がB'zから最初に離れた時の理由は、興味関心が他のものに移ったこともあるのですが、B'zがどんどんBIGになったことが大きかった。チケットが取りづらくなったり、会場が大きくなったり。

 箱が大きくなると物理的な距離が離れてつまらないし、売れると存在を遠く感じてしまう。だから小さな会場の頃から見ていた古参を自認する当時の私は寂しかったんでしょうね。それが離れた最大の原因かもしれません。

 ただ、中抜けを繰り返すと実感するのですが、人生を共に過ごしたアーティストというのは実家や故郷のような存在になるんですね。ある日突然フラッと帰っても、昔と変わらずそこに存在していて包んでくれる温かな場所。

 B'zが無事に35周年を迎え、あの2人がギターを弾き、歌い続けてくれているから、今年私は実家に帰ることができました。そしてこの年齢になると、それを続けていてくれることのすごさを強く感じます。

 ジュリーファンの先輩の皆様とて、ジュリー様が75歳の今まで歌い続けてくれているから、過去から現在の自分に会うことができるのだと初心者ながら思います。

 でもジュリー様もB'zも何十年も歌い続けられているのは、ご本人たちの努力がすごいのはもちろんだけれど、その間支え続けたファンがいるからなんですよね。

 先ほど私は「B'zがBIGになって寂しかった」と書きましたが、BIGになっていなかったら35年も活動を続けられなかったはず。だから前言撤回。B'zをBIGにしたファンの皆様、本当にありがとうございました。そしてジュリー様を支えてきた先輩の皆様、本当にありがとうございます。

 このテーマはまだ思うところがあるので、その②に続きます。

 

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